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Information of Tetsuya Ishida
石田徹也のニュース

Copyright:
All artwork by Tetsuya Ishida (C) Committee of Tetsuya Ishida

CV
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Artist_CV-Japanese >>
  
NEWS
石田徹也 個展

2019年4月1日-9月6日
主催:Reina Sofia
Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofi´a




ソフィア王妃芸術センター
  
NEWS
“2050. A Brief History of the Future”
「2050,未來簡史」

2018年3月24日-6月3日
國立台灣美術館
主催:
Taiwan Museum of Fine Arts and the Royal Museums of
Fine Arts of Belgium.
本展由比利時皇家美術館及國立臺灣美術館共同主




國立台灣美術館
NEWS
特別展 異界をひらく 〜百鬼夜行と現代アート〜
2016年7月16日(土) - 9月4日(日)
秋田県立美術館




秋田県立美術館
  
NEWS
56th International Art Exhibition in Venezia
May 9th − November 22nd 2015
Central Pavilion



All the World’s Futures
Curator:Okwui Enwezor
Japanese Artist: Tetsuya Ishida

 

All the World’s Futures
キュレーター:Okwui Enwezor(オクィ・エンゾー)
参加アーティスト:石田徹也(セントラル・パピリオン)
日本側コーディネーター:上田雄三



YAHOO news
静岡新聞
Venezia Biennale 2015
キュレーター:Okwui Enwezor(右)
NEWS
「ノート、夢のしるし 石田徹也展」静岡県立美術館 2015年1月24日(金)3月25日(水)
NEWS
Asian Art Museum - 24th Nov. 2014- 22nd Feb.2015
NEWS
Book of TETSUYA ISHIDA− GAGOSHIAN GALLERY HONG KONG
  



ガゴーシアン・ギャラリー香港から記録集が出版されました。

GAGOSIAN GALLERY 香港支店 >>

Article by Yuzo Ueda
評論 上田雄三

Gagosian Gallery-catalogueより2014年出版  

石田徹也が生きた時代 「気概と告白」上田雄三

「第五福竜丸」と「Lucky Dragon」からの影響:

1973年6月16日、石田徹也は静岡県焼津市で生まれ、2005年5月23日、東京都下の町田市にて電車の踏切事故で、
わずか31歳の若さで亡くなった。石田徹也の生まれた焼津市は東京から西に向かって、新幹線(電車)で約1時間
半余りの距離。漁港を中心に発展し、遠洋漁業、水産加工業の町として日本全国に知られている港町。と同時に
1954年3月1日にアメリカ軍の水素爆弾実験「キャッスル作戦」によって太平洋のビキニ環礁にて巻き込まれて、
23名の漁師が被爆した事件、「第五福竜丸」(マグロ漁船の名前)の町としても知られている。

そしてこの事件から4年後の1958年、アメリカの原子物理学者Ralph E. Lapp博士<1.>(1917〜2004)はThe
Voyage of the Lucky Dragon”=「福竜」を出版。その後Ralph E. Lapp博士は”Harper’s Magazine”にレポートを
寄せた。そのレポートの挿絵をBen Shahn<2.>(1989-1969 ユダヤ系リトアニア人)が担当した。この挿絵の原
画、30点の素描画の展覧会が東京都立第五福竜丸展示館(1976 開館)に開かれて、石田徹也は幼い頃(1981)にそ
のBen Shahnの”Lucky Dragon Series”=「福竜」(1958)の素描画に衝撃を受けることになる。
彼の日記には「Ben Shahnのような画家になりたい。」と記されている。

1981年彼が8歳の時に焼津市の読書コンクールに応募し、入選している作文が残されている。タイトル『まっし
ろ船君(※1.死の灰を受けた第五福竜丸を意味して名付けたようだ)』という作文をあえて一部紹介する。

「〜からだぜんたいが、わるくなって、くるしんでしまった、水バクがげんいんで、頭の毛がぬけたり、血がす
くなくなって、おきられなくしごともできないで、くるしんだりして本当にかわいそうです。なぜ、人間どうし、
水バクをつかってころし合うのかなと思います。」(読書コンクール作文から抜粋 1981.10.5)

この作文はその後の石田徹也の作品の題材となるテーマ「社会へのメッセージ」としての原点と言えるだろう。
小学生であった彼自身の中にすでに人へのやさしさや不幸を感じ取り、「正義感」が育まれている。そして水爆
という人類の科学への信仰や科学の発明が人類をやがて不幸に導くことをすでに予感していた、むろんわずか8
歳の子供に水素爆弾実験の全てのことに理解していたとは思わないが、「まっしろ船君」=「第五福竜丸」は彼
の中に潜む「敵」や「悪」を感じとっていたことは確かだろう。さらに1984年彼が11歳の時に「人権マンガ」
(静岡地方法務局主催)に応募し最優秀賞を受賞しているが、その受賞作品のタイトルは「弱いものいじめは や
めよう」という社会問題を絵で表現していることからも彼の表現はしだいに「人権」を尊重し、科学への信奉 を
否定する、機械文明への批判によるものへと発展していったと考えられる。本人は意識せずとも自らを自画像
(キリスト)として、あるいは殉教者として描くことで、自我と対峙し、葛藤していく様子を<不在化する自己>
として心の奥にすでに潜んでいたと思われる。

「ガンダム」から「エヴァンゲリオン」へ:

彼のその後の表現の中で、特に大学生時代からの絵画に出現する車や電車、飛行機、あるいは「Supermarket,
1996」、「Observation, 1999」、「Interview, 1998」の絵画のように機械(文明/水爆)と合体する表現は、幼
いころの心の奥にある「まっしろ船君」=「第五福竜丸」という擬人化=合体、ダブルイメージとなり、モップ
を擬人化=合体する人間「Tremor, 2002」は私たちにユーモアでありながらも得体の知れない恐怖を与えている。
彼の幼い心の中に芽生えた「正義感」や「機械文明」への人間社会への痛烈な批判はやがて消費され捨てられてい
く人間像「Untitled(2), 1998」であったり、自身がオモチャの組み立てキットの人形となった「Recalled, 1998」
表現へと変化する。また人々がエスカレーターという機械に流されて解体されて行く様子「Conveyor-belt People,
1996」、同じくベルト・コンベーアーの機械の上を走らされる自身、社会から落ちこぼれることなく、死ぬまで同
じベルト・コンベアーの上でもがく、人間社会の制度を皮肉った「Exercise Equipment, 1997」は見るものの心の
中の不安と恐怖を鋭く描く。それはチャップリンのモダンタイムス映画のようにも見える。石田徹也の描く機械た
ちは小学生の頃テレビで放映されたロボット・アニメーションの先駆けとなった、人間と合体する「機動戦士ガン
ダム(Mobile Suit GUNDAM)」<3.>(1979ー)からの影響も多く受けている。また石田徹也が亡くなる直前まで描い
た絵には「新世紀エヴァンゲリオン(Neon Genesis EVANGELION)」<4.>(1995—)の人類の半数 が死滅した設定
のマンガから、死線へと向う自身を描いているようにも思える。「Waiting for a Chance, 1999」そして死後に向か
う川(三途の川)をまたぐように橋のベッドが描かれて、書籍が積まれて、川に薄らと映る人の気配を感じさせる
「Untitled, 2004」不安気な絵を描ようになっていた。彼の絵に登場する死を感じさせるイメージは当時、オカルト
集団(オウム心理教)<5.>が世紀末を思い起こす事件、死と背中合わせにいた不安もその要因の一つと言える「The
Visitor,1999」。(この図版には画像がない)この作品は麻原彰晃(死刑者/オウム心理教祖)の顔がオーム貝(同じ
発音 AUM)と合体してドアから訪れるという恐怖を描いている。彼の創作ノートには以下のように記されていたこと
から推測すれば「失われた20年」の日本人の心の闇や不安が社会的な事件を通じて、日本人どうしの理解不能を感じ、
「わかり合える日本人」を望んでいたことが示唆される。

「日本人の心理的な特徴として『わかり合える日本人』というのがないだろうか。日本人であれば、全てのことは
大声で言わなくとも、わかると思っている、上祐(広報幹部)がしょうげき的だったのは、『わかり合えない日本人』
というも のをみな知ってしまったからだ。言語の構造、発想も全く理解できない日本人。」(創作ノートから抜粋)

「機動戦士ガンダム」にしろ、「新世紀エヴァンゲリオン」にしろ、人類の存亡の危機を背景とした世紀末のアニメ
ーションが石田徹也の世代の若者に受け入れられて、大変な反響を呼んだ理由に、オカルト集団(オウム心理教)の
事件や日本人社会における理解不能な状況、閉塞的で疲弊した時期、「失われた20年」となって日本の経済の低迷期
(1991-)と重なる。石田徹也の世代は就職も困難で「ロスト・ゼネレーション」とも呼ばれ、就職難民世代とも呼ば
れた。彼は武蔵野美術大学のデザイン科を卒業しており、デザイン科出身の友人たちが就職していく中で、就職せず
アーティストの道を決意するのもこうした就職難民世代であったことも確かだろう。ここに紹介されている13点の図
版以外の作品にも、彼が亡くなる直前までの2005年の間の絵の殆どが、多感な石田徹也はノイローゼ状態に陥り、悩
まされた時期でもあり、精神的にも不安な日々を過ごしていた。こうした日本の社会が不安定な時期に描かれた彼の
絵は私たち自身の背景と重なり、人々の心の中の葛藤を描く表現が、見る者にも痛々しく感じさせられる。

また石田徹也は1997年起きた「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」の14歳の少年による殺傷事件にも衝撃を受けてい
た。14歳の少年は2人の児童を殺害し「首をじっくり鑑賞したい」と自分の学校の校門にその少年の首を置き、また
ビニー ル袋の中に首を入れて、自分の家の屋根裏に隠し、眠たそうな児童の目が嫌いだとナイフでえぐったりもした。
少年は汚れた児童の頭の髪の毛にクシを入れながら射精をして興奮を覚えたという。当初警察も犯人像が分からず、
まして誰もが14歳の少年の犯行とは思わなかった。

14歳の少年が出した地元の新聞の犯行声明文を紹介しておく。

「さあゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君ボクを止めてみたまえボクは殺しが愉快でたまらない。人の死が見たく
て、 見たくてしょうがない。汚い野菜共には死の制裁を積年の大怨に流血の裁きを」(School Kill酒鬼薔薇聖斗)

こうした14歳の少年の犯罪が起きた時期に「Untitled(2), 1998」の作品は描かれた。
(この作風と同様なものがもう1点ある。)「Untitled(1), 1998」<6.>

そして9.11から3.11へ:

何故、石田徹也の絵に誰もが衝撃を受けるのだろうか。彼の描く表現は病的で、恐怖を伴う、自身が痛々しく傷つ
く様子を克明に描いている。自画像という手法が自虐的であり、息苦しいほど自閉的である。自己分裂とも思える、
深い闇。 死と生が混じり、自身も踏切事故によって死へと向かったことで、私たちに現実の死を突きつけられた。

彼の描く絵の原点にはやはりあの「まっしろ船君」※1.=「第五福竜丸」=被爆としての死のイメージがつきまと
う、そして死から再生へのイメージを描く「Descendant, 1999」。彼の描く機械と合体した得体の知れない文明、
私 たち人類の科学への信仰や科学の発明に警鐘を鳴らすものである。それは世界で唯一の被爆国、日本からの偽
りのない“Catastrophe”であるだろう。私たちの脳裏に浮かぶ、生々しい衝撃。2001年9月11日に起きたアメリカ
同時多発テロ事件、ボーイング707型機とボーイング757型機の旅客機が世界貿易センタービルに突っ込む様子を
見て、全世界に衝撃を与えた。政治的背景、民族との紛争、『文明の衝突』<7.>は「テロとの戦い」とも表現され
て、巨大な航空機という機械の塊が、人類の科学の最大の発明品の象徴とも言うべき航空機が、アメリカの発展の
象徴とも言うべき貿易センタービルに突っ込み、崩れ去った姿を見て、機械文明が殺人兵器となって私たちの未来
を破壊したことを誰しもが嘆いたことだろう。それは原爆を開発した、原子物理学者Ralph E. Lapp博士のように人
類は何よって償うのかという、自らの問いを突きつけられたような思いと同じだろう。

そして9.11から3.11へ:

そして2011年3月11日、日本の東北地方太平洋沖地震の津波によって起きた原子力発電所の災害は、未熟な科学の発
達による災害。科学への信仰の崩壊はあのエヴァンゲリオンに描かれていた風景と全く同じ様に私たちには見えた。
石田徹也は2005年に亡くなっているのでこの東北地方太平洋沖地震による原子力発電所による災害は見てはいないが、
彼が小学生の時に書いた「第五福竜丸」の被爆の話と重複している。私たちが経験した2つの衝撃、9.11と3.11から
の衝撃は共に未来からの警告、そして1945年8月6日の広島市の原爆、同年8月9日の長崎市の原爆、1954年3月1日第
五 福竜丸の被爆。いずれも人類の発明による危機であり、科学を神と仰ぐ信仰となって起こる、科学万能の神話の崩
壊は、私たちの近代主義への問いとなる“Catastrophe”である。

石田徹也の描く絵がこうした私たちの経験と心の奥に潜む“Catastrophe”=「災害の恐怖」に触れていることで彼の死に
向かうイメージが私たちの文明の批判となって、私たちの清浄な心に訴えてくると思える。殺伐とした現代社会、他者
に交わることなく生きる若者、しかし携帯電話(機械)を友人のように思い、機械である電話だけが外部と繋ぐ経路と
して大切にする現代人「Long Distance,1999」、”Conquered, 2004”<7.>は、存在なき自己と他者と入れ替る自己、石
田徹也の描く自画像は自己分裂と恐怖。自己矛盾という私たちに共通する「自我の喪失の時代」を暗示している。石田
徹也が私たちに突きつけた衝撃、それは現代社会の中で歪んだ私たち自らに与えられた「気概と告白」と言えるだろう。

最後に石田徹也からのメッセージをここに表記しておく。

「聖者のような芸術家に強くひかれる。『一筆、一筆描くたびに世界が救われていく』と信じ込んだり『羊の顔の中に
全人類の痛みを聞いたり』するような人達のことだ。自分が俗物だと思い知らされます。」
(1999.6 創作ノートから抜粋)

ps.1  石田徹也は2005年5月23日の午前6時頃、東京都下の小田急線の踏切の遮断機に気づかずに入り、電車にひかれて
わずか31歳の若さでこの世を去りました。彼が亡くなった30分前には遠く離れて住む母親が電話を入れていることを後
で聞かされました。母親は連日夜勤でアルバイトをして疲れきっている息子を気遣って「朝食をしたの?」と電話を入
れている。母親からの電話を受けて、彼はアパートから踏切の反対側にあるコンビニエンス・ストアーに朝食を買いに
出かけようとし、その時に踏切事故にあい亡くなりました。しかし不思議な事に彼のズボンには朝食を買うための財布
がなく、100ドル紙幣だけが一枚ポケットに入っていたことを私は遺族から聞かされた。
私は彼が亡くなる2〜3年前に、彼のアパートを訪れたことがある。彼はアルバイトで貯めた100万円近くの銀行の通帳
を私に見せて、この100万円でニューヨークのギャラリーで個展ができないか相談を受けたことがある。私は「ニュー
ヨークには貸し画廊もないし、100万円では3ケ月で底をつき、とても生活をすることはできない。英語もろくにできな
いのにニューヨークに行っても誰も相手にしてくれない。もっと作品を一杯描いて、英語を勉強しなくては駄目だ。」
とその時伝えた。彼が亡くなった後に私は遺族から日記を読ませて頂いた。彼は私にニューヨーク行きの相談を受けた
日から、テレビの英会話のテキストを買って英語の勉強をしていたことが分かった。彼のポケットに残されていた100
ドル紙幣はいつでもニューヨークに行けるよう用意された彼の夢のキップだったことを知った。

ps.2  ここ書かれた石田徹也の評論はGagosian Gallery – Hong Kongで開催された13点の絵画だけを言及し書かれたの
ではないことをお伝えします。石田徹也は武蔵野美術大学の学生時代、20歳から31歳で亡くなるまでの間に200点以上
の作品を残しています。これらの全作品から私は彼の作品について言及し、また小学生の頃の絵画や作文からも遺族か
ら許可を得て読ませて頂き、ここに書かせて頂きました。本カタログは石田徹也を紹介する為の作品はほんの一部であ
ることをお許しください。

注釈及び参考資料:
<1.> Ralph E. Lapp博士(1917-2004) 原爆を開発したマンハッタン計画に参加したが、その後、核実験による放射性降
下物の危険性や放射線の健康面への影響を訴え、大気圏核実験に反対。1954年のビキニ事件で被曝した日本のマグ
ロ漁船を追った著書「福竜丸の航海」を1958年に出版した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_E._Lapp
From Wikipedia, the free encyclopedia

<2.>Ben Shahn(1898-1969) リトアニア生まれのアメリカの画家。ユダヤ系リトアニア人。ニューヨークのブルックリ
ンに住み、石版画職人として生計を立てていたシャーンは、肉体労働者、失業者など、アメリカ社会の底辺にいる人々
と身近に接し、彼らに共感をもっていた。1954年の核実験で被爆した第五福竜丸をテーマにした”Lucky Dragon Series”
などが知られている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Shahn
From Wikipedia

<3.>「機動戦士ガンダム(Mobile Suit GUNDAM)」 ロボットアクション以上に、主人公の社会的成長が物語の主軸に据え
られている。また、戦争を舞台としたリアリティに富んだ人間ドラマと、ロボットを「モビルスーツ」と呼ばれる兵器
の一種として扱う設定を導入したことで、1980年代初頭から半ばにかけての、後に“リアルロボットもの”と称されるこ
とになる一連のロボットアニメ変革の先駆けとなった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mobile_suit_gundam
From Wikipedia

<4.>.「新世紀エヴァンゲリオン(Neon Genesis EVANGELION)」 第三世代のアニメ作品でもあり、爆発的なアニメブー
ムのきっかけとなった。 物語の舞台は西暦2000年9月13日に起きた大災害セカンドインパクトによって世界人口の半数
が失われた世界。大災害「セカンドインパクト」後の世界(2015年)を舞台に、巨大な人型兵器「エヴァンゲリオン」
のパイロットとなった14歳の少年少女たちと、第3新東京市に襲来する謎の敵「使徒」との戦いを描く。
http://en.wikipedia.org/wiki/Neon_genesis_evangelion
From Wikipedia

<5.> AUM Shinrikyo 1995年 東京都内の地下鉄による大量殺人事件。地下鉄サリン事件などのテロを含む多くの反社会
的活動(「オウム真理教事件」)を行った。自動小銃や化学兵器、麻薬類の量産を行い、教団内に省庁制を敷き、独立
国家の創造を目指していたとされる。
http://en.wikipedia.org/wiki/AUM_Shinrikyo
From Wikipedia

  



“The Visitor” acrylic and oil on canvas 45.5x53cm 1999


<6.>以下の2点が最初に海外にて展示された作品


  



“Untitled(1)” acrylic on canvas 146x206cm 1998

  



“Untitled(2)” acrylic on canvas 206x146cm 1998
 “Asian Avant-Garde”CHRISTIE’S  Auction 12 Octber 1998

<7.> ”The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order”
     Samuel Phillips Huntington(1927-2008)



  



 <8.>“Conquered” 53x45.5cm acrylic and oil on canvas 2004

「まっしろ船君」※1.
『おーい、まっしろぶね』山口勇子作・童心社(1981年):第五福竜丸を題材にした、
子供向けの反核童話絵本。



1984年 11歳の時「人権マンガ」(静岡地方法務局主催)

NEWS
光州ビエンナーレ2014 - The Posthumous accolade 受賞


2014年9月5日(金)-11月9日(日)







Title: Recalled
Medium: Acrylic on paper, panel
Size: 145.6x206cm
Year: 1998
Exhibitions
1999 Gallery Q, Tokyo
2007 Shizuoka Prefectural Museum of Art, Shizuoka Prefecture, Japan
2013 Gagoshian Gallery , Hong Kong

Gwangju Biennale 2014 >>
NEWS
「石田徹也展」−GAGOSHIAN GALLERY 香港


2013年11月7日(木)-12月21日(土)

  

    

この作品は一番最初にギャラリーQで展示されました。

GAGOSIAN GALLERY 香港支店 >>
NEWS
「石田徹也展−ノート、夢のしるし」

足利市立美術館 2013年9月7日(土)-10月27日(日)
平塚市美術館 2014年4月12日(土)-6月15日(日)
砺波市美術館 2014年9月6日(土)-10月5日(日)
静岡県立美術館 2015年1月24日(土)-3月25日(水)


  

「石田徹也展 −ノート、夢のしるし」 本展では、代表作約110点を核に、石田が遺した51冊ものノート
やスケッチブックに描かれた、下絵やアイデアを初公開します。石田の言葉を随所に紹介し、制作の過
程や思考の跡をたどろうとするものです。


テレビ放送:
新日曜美術館 NHK 2013年9月29日(日) 9:00~9:45
再放送  2013年10月6日(日) 20:00~20:45

 

足利市立美術館 >>
NEWS
「石田徹也展−今を生きる、僕らの姿」

三菱地所アルティアム 2012年4月28日-5月27日

  

「石田徹也展 −今を生きる、僕らの姿」 福岡市で. 現代人の悲しみや孤独をユーモラスに描いた
早世の画家石田徹也の作品を集めた「石田徹也展 −今を生きる、僕らの姿」が、福岡市中央区天神
のイムズ8階・三菱地所アルティアムで開かれた。

 
三菱地所アルティアム >>
NEWS
石田徹也 招待出品 「横浜トリエンナーレ2011」

横浜市美術館 2011年8月6日-11月6日

NEWS
石田徹也 出品 「画家たちの二十歳の原点」

平塚市美術館 2011年4月16日-6月12日
下関美術館  2011年6月18日-7月31日
碧南市藤井達吉現代美術館  2011年6月18日-7月31日
足利市美術館  2011年9月25日-11月13日

NEWS
石田徹也 ドキュメンタリー/フジテレビにて放映されました。

2010年9月1日  26:40-27:40  

NEWS
石田徹也全集ー出版記念及び五周忌展

2010年5月17日-5月29日 ギャラリーQにて開催

Ishida Tetsuya works
Information
 

石田徹也が不慮の事故にあわれて5年が経った。この5年間に石田徹也はテレビ、雑誌、マスコミ等に多く紹介されて、
私たちの心に感動と衝撃を与えた。何故こんなにも石田徹也は美術界だけでなく一般社会の人たちにも影響を与えたの
だろうか。それは石田徹也が描いた自画像が、現代人の心の中に潜む、社会への不満や懐疑心あるいは不信感を抱いた
私たち自身の自画像であることを知ったからなのだろう。
日本の閉塞的な管理社会において他者との関わりの難しさを描くことで、現代社会の文明批判とも社会批判とも思え
るメッセージを私たちに投げかけたからだろう。(上田雄三)

本展に合わせて求龍堂より全作品集が出版されます。

仕 様:上製本、カバー、帯かけ
頁 数:248頁
判 型:A4変型 297×225ミリ
点 数:カラー210点(予定)
寄稿者:横山勝彦(長野県信濃美術館副館長)
    堀切正人(静岡県立美術館)
    花輪莞爾(作家)
    上田雄三(ギャラリーQ)
8,925円(税込み)
出版:求龍堂



朝日新聞/2010月5月19日 夕刊記事 >>
5月24日付け
asahi.com全体で3位、個々の画像ページも合わせると2位になりました。
石田徹也作品フォトギャラリーページは大変な人気を集め、記事と画像合わせて
計12万5000のページビューを記録しました。
「石田徹也全作品集」 

「カフカとテツヤ」あるいは「不在化する自己」上田雄三

『「変身」フランツ・カフカ』は主人公のグレゴール・ザムザがある朝、突然虫になった話から始まる。ザムザはカフカ
自身の化身でもあるが、自己同一性という内なる他者によって、日常と非日常との関係を物語る。ザムザは自分が虫にな
ったことで、周囲の人間から自分がどう見られているかを冷静に、驚くこともなく克明に描写していく。夢を見ていたの
か、現実なのか。ザムザは両親や妹との会話を理解するが、両親たちは虫男の言葉は理解できない。石田徹也もまた絵画
の中で、自己同一性から分裂していく自分の様子を描く。身の回りにある機器、例えば電車、洗面台、ねじ、テレビ、コ
タツ、学校、トイレ、洗濯バサミとあらゆる日常品に「変身」合体している。

カフカも徹也も表現主義的でありながら、対話の困難さを克服したいと孤独と戦いながら「夢」を見ていたのではないだ
ろうか。徹也は現実の社会の中で、コンビニやパン工場、また夜警と多くの職種のアルバイトをしていた経験上、他者と
のコミュニケーションでも多くの苦労を感じていたに違いない。徹也の創作ノートにはアルバイト先である警備員の注意
書きと絵を描こうとする構想のアイデアのコメントが同時に書かれてあることもあったことからも、アルバイト(現実)
と絵を描くこと(夢)の狭間で心が複雑に絡み合い、混乱している精神状態でもあったようだ。徹也の作品にはこうした
アルバイト先で経験した風景の作品も多く見受けられる。ザムザが虫男に変身した後も外に出ることはなく、自己の殻の
中で過ごしたように、徹也は部屋の中で、現実から逃れてもう一人の自分、テツヤに向かい、テツヤ自身との対話から絵
を描いていたのではないだろうか。こうした困難な日常からも、自分で自分を見る、見られることと同一化されているこ
とから起きる「不在化する自己」が、徹也をテツヤに変身させていた理由なのかもしれない。

かつて世間を騒がせた神戸A少年(1997)は、犯行声明文の中に「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続け
るボクを、せめてあなた達の空想の中だけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。」という言葉を残している。
徹也と神戸A少年は無論、年齢も地域も育った経験も環境も全く違う、けれども徹也の生きた時代、少年による殺傷犯罪
事件が全国各地で多発的に起きた時代に、同世代ではなくても、少年の心の問題として敏感に感じ、彼自身も傷ついてい
たようだった。カフカとテツヤそしてA少年、この三者に共通する変身願望あるいは境界性人格障害(ボーダーライン)
が対人関係・自己イメージ・感情の不安定、著しい衝動性を特徴とし、1:現実・空想の中で見捨てられることを避けよ
うとする努力 2:理想化・こき下ろしの両極端を揺れ動く、不安定な対人関係 3:解離性同一性障害(多重人格)
:持続的で不安定な自己イメージと重なる。

 「訪問者」(45,5x53cm 1995以降)と題する作品がある。この作品では麻原彰晃(元オウム真理教祖)の顔がテツ
ヤの顔になってオーム貝と合体して、アパートのドアから訪れる(地下鉄サリン事件 1995)という社会性の強い作品
描いている。徹夜の創作ノートには『日本人の心理的な特徴として「わかり合える日本人」というのがないだろうか。
を日本人であれば全てのことは、大声で言わなくてもわかると思っている、上祐がしょうげき的であったのは「わかり合
えない日本人」というものをみな知ってしまったからだ、言語の構造、発想も全く理解できない日本人:あ・うんの呼吸
が伝わらない日本人』と書き記す。他のページでは現行犯逮捕の刑事訴訟法を調べ、克明にノートに書き記していたこと
からも徹也は現代の少年犯罪やオカルト宗教に対しても現代人の心の病として、「疎外された孤独」や「失われた自己」
という現代社会の問題に対して徹也は日々憂いでいたようだ。かつて徹也は小学6年生の頃に<弱いものいじめは、やめ
よう>というポスターを描いているが、幼い頃からいじめや、社会の問題に対して正義感を持って立ち望んでいたよう
だ。徹也はそんな弱者である少年や少女の気持ちとなって、自らをカンバスの上に描く、テツヤは虚ろな眼で遠くを見
つめ、公園やアパートの室内といった孤独な場所で、「空想の中だけ」で一人たたずみ過ごしていたのかもしれない。

 2006年6月、銀座の三カ所の画廊(ガーディアン・ガーデン、ギャラリー・イセヨシ、ギャラリーQ)にて『石田徹也
追悼展「漂う人」』を開催した。少しでも多くの人たちに石田徹也の存在を知ってもらうために、一冊の画集をNHKエ
デュケーショナルの元エクゼクティブ・プロデューサーである西松典宏氏に差し上げたことがきっかけで、「新日曜美
術館-アート・シーン」(2006.6.11)にて追悼展が紹介された。その放映後、瞬く間に石田徹也は多くの人に知られ、
さらに同番組の「悲しみのキャンバス 石田徹也の世界」(2006.9.17)(再放送2006.12.24)にて異例の45分番組の
ドキュメンタリーが放映された。そしてさらに多くの人たちが石田徹也に興味を持ち共感を得た。

 けれども何故これほどまでに石田徹也の作品が多くの人たちの心に訴えたのだろうか。石田徹也の絵を初めて見た衝
撃は、少年殺傷事件のニュースを見た衝撃や、いじめで自殺をした少年少女の不幸を知った時の衝撃に似ている。現代
人の多くの人たちが、日々経験している人間の悲しみ、人間の哀れみと同じ感情だった。徹也がその不幸のすべてをテ
ツヤに置き換えて一人で、身動きができないでいるテツヤに多くの観客は共感し、同情したのではないだろうか。テツ
ヤを知ることで、人々は自分も悲しみを持った一人の孤独な人間であることを知ったに違いない。年老いたものは、社
会から疎外されている自分を知り、少年少女は、自らがテツヤとなって自分が儚く、崩れやすいことを知る。徹也はカ
ンバスに描かれた少年、テツヤが誰もが知っている、あなたであり、私であることを気付かさせてくれたのだ。その虚
無感は現代人の多くが感じる心の病であり、誰もがテツヤと同じように他者とのコミュニケーションを望みながらも、
コミュニケーションができない私たちなのだ。特に日本の現代社会では会社や学校という組織の中で管理されて、閉塞
された個人主義が徹底し、蔓延しているのではないだろうか。宗教心の薄れた現代社会では心の絆を求めることもでき
ず、親子の絆も人々の信頼関係も希薄な状態であることからも人々が「不在化する自己」あるいは「透明な存在」であ
ることを知ったのではないだろう。それは現代日本社会が引き起こした集団的な病なのだ。誰もが石田徹也の絵を見た
時に、驚きと同時に共感し、不安を憶えるのは現代社会の中で人々が日々、不幸の中で暮らしているという、壊れた社
会の中で私たちが生きていることの証明、実感(現実)なのだろう。

 石田徹也は「ひとつぼ展」(1996)のカタログの受賞コメントに「メッセージを肉声にする自画像をつかって、現実の
何かに光りを当てる絵を描きたい。」と書き記している。その「光り」は救いであり、人々の心の中で淡く光る「祈り」
なのかもしれない。その「光り」が多くの人たちに今、届こうとしている。

Tetsuya Ishida' s article 

"Kafka and Tetsuya" or a "Dissolving Self" Yuzo Ueda (Gallery Q)

Franz Kafka's "The Metamorphosis" begins with the scene of protagonist Gregor Samsa suddenly
becoming an insect one morning. Samsa is an avatar of Kafka himself, and the relation between
ordinary and extraordinary is told based on latent identity. Samsa describes in detail how people
around him are seeing him as an insect, calmly and without surprise. Was it a dream or reality ?
Samsa understands conversations among his parents and sister, but they don't understand what
the insect man speaks.

Tetsuya Ishida too depicts, in his paintings, his own self, his identity, dissolving. He "metamorphoses"
into and gets combined with such objects of everyday life as a train, a washstand, a screw, a television,
a kotatsu (Japanese table with a heater), a school building, a toilet, a clothespin, etc.
Both Kafka and Tetsuya are expressionist, and maybe they had a "dream" of overcoming the difficulty of
dialogue, while they struggled with solitude. Tetsuya in reality experienced various part-time jobs, at
a convenience store, bread factory and as a watchman, and he must have had much trouble in
communicating with others. Tetsuya's notebook bears comments on his paintings next to rules of
a watchman, which indicates a state of confusion of his mind between the part-time job (reality)
and painting (dream). What Tetsuya had seen at part-time jobs is often depicted in his works.
Like Samsa spent time without going out of his shell after metamorphosing to an insect, Tetsuya,
in his room, may have fled reality and met another Tetsuya, talked with him and painted.
Such a difficult life and a "dissolving self"- which is brought by looking at himself and being looked
at - could have made Tetsuya metamorphose into Tetsuya.

The 1997 murder A boy KOUBE wrote in his statement, "I have been and will keep being transparent.
I want you to remember me, even in your imagination, as a person that really exists." Although Tetsuya
was older than Seito and grew up in an environment different from the murderer's, he looked sensitive to
crimes by minors which often happened at that time. Kafka, Tetsuya and A boy have in common a desire to
be somebody different, or borderline personality disorder, which makes relationship with others,
the image of the self and emotion unstable and causes impulsivity, besides these problems: 1) fear of
being abandoned in reality or imagination; 2) extreme idolization or disdain of others; 3) dissociative identity
disorder (multiple personality disorder) and a chronically unstable image of the self.

In a work titled "The Visitor"(45.5 cm x 53 cm, after 1995), a man with the face of Shoko Asahara (former guru
of Aum Shinrikyo), half blended with Tetsuya's face, and the body of a nautilus appears at the door of an
apartment. The work's strongly social motif reminds us of the 1995 sarin gas attacks on Tokyo subways.
In his notebook, Tetsuya wrote: "I suppose Japanese mentality is characterized by the belief that a Japanese
can understand any other Japanese. If you are Japanese, you think you can make yourself understood totally
without speaking loud. Joyu (an Aum guy) was astonishing because we met in him a 'Japanese whom we can't understand.' A Japanese whose language and ideas are totally unintelligible, a Japanese with a different
wavelength." He also wrote minutely about the Criminal Procedure Code on another page, which hints that
he was interested in and anxious about such social issues as juvenile delinquency, occult religions, "
alienated isolation" and the "lost self."  As a 6th-grade elementary schoolboy, Tetsuya painted a poster telling,
"Stop bullying."  He seemed to have a sense of justice since his childhood. Tetsuya sympathized with boys and
girls who were bullied and incarnated the sympathy in canvases. A dumb-looking Tetsuya looks far and broods
in a park or an apartment in isolation, perhaps in "mere imagination."

In June 2006, three galleries in Tokyo's Ginza district (Guardian Garden, Gallery Iseyoshi and Gallery Q) held simultaneous exhibitions in memory of the artist. Wishing to let as many people as possible know Tetsuya,
we presented a book of paintings by Tetsuya to Mr. Norihiro Nishimatsu, a former executive producer at NHK
Educational. Then the exhibition was introduced in "Shin Nichiyo Bijutsukan: The Art Scene," a TV program
on art, on June 11. After the broadcast, Tetsuya rapidly became known to many people, and a 45-minute
documentary titled "The Sad Canvases: The World of Tetsuya Ishida" went on air Sept. 17 (rerun Dec. 24)
that year, which was exceptional for such an obscure artist. Even more people got interested in Tetsuya and
sympathized with him.

What made Tetsuya's works so appealing to many ? The first impression of his works resembles the shock
at hearing about a murder case by a minor or suicides of children suffering bullying. It's the sadness
or pity that many people today feel every day. Tetsuya expressed such feelings in the figures of Tetsuya,
with whom viewers sympathize. By meeting Tetsuya, they realize that they too are lonely and sad.
Old people realize that they are alienated in society, and boys and girls identify themselves with Tetsuya
and realize they are so fragile. Tetsuya in the canvases is a guy everyone knows, and he is everyone.
Such a sense of hollowness is commonly felt by most people today, in a time when everyone wishes to
communicate with others but finds difficulty in communication. Especially in Japan today, companies
and schools control us, while occlusive individualism prevails. Maybe it is not due to lack of a religious
mind, weakened ties between parent and child and trust in others that people came to realize that each
one is a "dissolving self" or a "transparent being." It is because of a collective sickness of today's
Japanese society. It is the fact that we live in an unhappy, broken society today which makes everyone
surprise, sympathize and get anxious at seeing Tetsuya's works.

In his comment seen in the catalog for the 1996 メ3.3-Sq.-Meter Exhibition," in which he won the grand prize,
Tetsuya said, " I want to make paintings which shed light on something real, in the form of self-portraiture
that gives voice to my messages." The "light" may mean salvation, and prayer that glimmers in our mind.
The "light" is now reaching us.

 

NEWS

2008年4月 石田徹也の郷里の静岡県立美術館に「飛べなくなった人」
(1996、103x145,6cm)を含めてご遺族より21点寄贈されました。
そして2009年5月 ご遺族が寄贈したことに よって、天皇並びに 内閣
総理大臣より <紺綬褒章>を授与されました。


NEWS
石田徹也個展開催のお知らせ
「石田徹也展と静岡県ゆかりの画家」
浜松市美術館(2009年4月18日-5月17日)

練馬区立美術館(2008年11月9日-12月28日)
お問い合わせ:石田徹也展実行委員会-東京(ギャラリーQ内)

「石田徹也-悲しみのキャンバス」展
2007年7月24日(火)-8月19日(日)
「NHK日曜美術館30年展」にて同時開催<7月24日(火)〜8月31日(金)>
会場: 静岡県立美術館、県民ギャラリー
主催:静岡県立美術館・石田徹也展実行委員会
協賛:株式会社 資生堂
後援:NHK静岡放送局、企業メセナ協議会
協力: CBコレクション 第一生命ギャラリー、
株式会社 求龍堂、ギャラリーQ

キュレーター:上田雄三
 
石田徹也展はお陰さまで13,572人の来館者があり終了いたしました。
ありがとうございました。今後ともご支援をお願いいたします。
石田徹也からのコメント
「他人の自画像」
最初は自画像に近いものだった。弱い自分をユーモラスで笑えるものにしようとした。
結果でてきたものは笑えるものだったり、余計悲しいものができたりした。
見る人によっては、風刺や皮肉と受けとめられることもあった。
そうやって続けていく過程で自分自身の枠が、消費者、都市生活者、労働者、老人へと広がっていき、
社会問題も意識するようになった。僕が世の中をみまわすとき頼りにする感覚は、人や社会の痛み、苦しみ、
不安感、孤独感などで、そういったものを自画像のなかで消化し独自の絵画を見せていきたい。
ギャラリーQ
1999年
石田徹也筆
石田徹也の展覧会 2007 スケジュール 静岡、東京、ソウル、ニューヨーク、千葉
1)
「石田徹也-悲しみのキャンバス」展 個展
2007年7月24日(火)-8月19日(日)
静岡県立美術館、県民ギャラリー
キュレーター:上田雄三、堀切正人(静岡県立美術館 学芸員)
2)
石田徹也展 個展
CBコレクション
http://www.cb-a.jp/>>
東京都港区麻布台2-3-5 NOAビル1F
2007年9月8日-11月24日
コーディネーター;上田雄三
3)
グループ展
"dis -communication"
2007年10月11日(木)-12月23日(日)
Sungkok Art Museum
http://www.sungkokmuseum.com/engmain/fmain.htm>>
石田徹也、鳥光桃代、佐々木里加、阿部乳坊
キュレーター:上田雄三
4)
Asian Contemporary Art Fair New York
2007年11月8日(木)-12日(月)
Pier 92 Twelfth Avenue at 55th Street New York City
http://www.acafny.com/>>

Tetsuya Ishida 石田徹也
Masanori Murao 村尾成律
Chino Sakamoto 阪本知野
Ai Shinohara 篠原愛
Liuming Ma 馬六明
ギャラリーQ ブース
5)
カオスモス'07/痛みと天啓
2007年11月16日(金)-12月24日(月)
会場:佐倉市立美術館
石田徹也
菊池伶司
田畑あきら子
成瀬麻紀子
正木 隆
Artist Profile
1973 静岡県焼津市生まれ。
1996 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業
2005 5月23日逝去(享年31歳)
個展
1996 「漂う人展」ガーディアン・ガーデン、東京
1999 ギャラリーQ、東京
2003 ギャラリーイセヨシ、東京
2006 「石田徹也 追悼展」ガーディアン・ガーデン、ギャラリーイセヨシ、ギャラリーQ、東京
  「“飛べなくなった人”異才・石田徹也−青春の自画像−展&マイコレクション」駿府博物館、静岡
2007 石田徹也展、焼津市文化センター、焼津
  石田徹也展、静岡県立美術館-県民ギャラリー(ギャラリーQ:上田雄三企画)、静岡
  石田徹也展CBコレクション、東京
2008 石田徹也展、和田ファイン・アーツ、東京
2008-11 石田徹也展、練馬区立美術館、東京
2010 石田徹也展「五周忌-出版記念展」ギャラリーQ、東京
2013 ガゴーシアン・ギャラリー香港、香港
2013 「石田徹也ノート展」足利市立美術館、足利
2014 「石田徹也ノート展」平塚市美術館、砺波市美術館
2014 「SAVING THE WORLD WITH A BRUSHSTROKE」Asian Art Museum、サンフランシスコ
2015 「石田徹也ノート展」静岡県立美術館
グループ展
1996 第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ受賞
1997 JACA日本ビジュアル・アート展1997グランプリ受賞
  チャリティー企画温度計展「HOT&COOL」ガーディアン・ガーデン、東京
1998 キリンコンテンポラリーアートアワード1998奨励賞受賞
  クリスティーズ「アジアン・アバンギャルド展」ウエアハウス、ロンドン
  第7回リキテックスビエンナーレ出品
  チャリティー企画壁掛け時計展「三角CLOCK」、ガーディアン・ガーデン、東京
1999 NICAF (国際コンテンポラリーアートフェスティバル、ギャラリーQブース)有楽町国際フォーラム、東京
  チャリティー企画デザインだるま展「開運・銀座だるま祭」、ガーディアン・ガーデン、東京
2001 VOCA展 (The Vision of Contemporary Art) 上野の森美術館、東京
  「渦中の人びと」横山記念マンズー美術館、東京造形大学、東京
2002 チャリティー企画和凧展「TAKO KITE」、ガーディアン・ガーデン、東京
2003 「ギャラリ−Q開廊20周年記念展」ギャラリーQ、東京
2007 第一生命ギャラリー所蔵作品展、東京
  「石田徹也とその仲間たち展」<Empty Identity>
  石田徹也、池ケ谷肇、百田達三、山内幾郎 ギャラリーQ、東京
  「さびしさと向き合って」佐倉市立美術館、千葉
  「dis-communication展」ソンゴック美術館、ソウル、韓国
2009 「石田徹也展と静岡県ゆかりの画家」浜松市美術館
2011 「画家たちの二十歳(はたち)の原点展」平塚市美術館、平塚市 下関美術館、下関市
碧南市藤井達吉現代美術館、碧南市  足利美術館、足利市
「横浜トリエンナーレ2011」横浜美術館、横浜
2014 「第10回 光州ビエンナーレ」光州、韓国
2015 「56th International Art Exhibition in Venezia/All the World’s Futures」Central Pavilion, Venezia
「Asia Contemporary Art Exhibition 2015」全羅北道立美術館、全州市、韓国
2016 「異界をひらく 〜百鬼夜行と現代アート〜」秋田県立美術館、秋田
Awards
1996 第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ受賞
  毎日広告デザイン賞優秀賞受賞
1977 JACA日本ビジュアル・アート展1997グランプリ受賞
1998 キリンコンテンポラリーアートアワード奨励賞受賞
2001 VOCA展 奨励賞受賞
2007 焼津市教育委員会特別賞
2009 紺綬褒章
TV Program
2006-6 NHK新日曜美術館「アート・シーン」
2006-9 NHK@ヒューマン
  NHK新日曜美術館「悲しみのキャンバス」
2006-11 SBS テレビ夕刊
  BS2ブックレビュー
2006-12 NHK新日曜美術館「悲しみのキャンバス」再放送
2007-1 TBS筑紫哲也「ニュース23」
2007-3 静岡NHK
  静岡 あさひTVとびっきり情報局
  静岡放送「SBSスペシャル・180枚の自画像」
  静岡放送「SBS土曜スコープ」
2008-4 東京12TV「美の巨人」
2010-9.1 フジTV「石田徹也とボクとわたし〜ロスジェネの肖像」
2011-2.16 フジTV「石田徹也とボクとわたし〜ロスジェネの肖像」再放送
2013-9.29 NHK日曜美術館「石田徹也ノート」