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2003年8月26日 夕刊 -毎日新聞記事-

「伝統と現代の対話を促す建築 - 伊丹潤展」
 
パリの国立ギメ東洋美術館は、 多くの美術館が隣接する市内16区にリヨン市の資産家エミール・ギメ(1836-1918)によって創設された。ギメ本人によって収集した膨大なアジア・コレクションに加え、1945年にルーブル美術館の東洋部のコレクション全体が移され、1996年から2000年にかけて内部を大改装して話題を呼んだのは、今なお記憶に新しい。 そのギメ東洋美術館で現存作家として初めて、建築家・伊丹潤(1937 -東京生まれ)の軌跡を紹介する「伊丹潤-伝統と現代」展が9月29日まで 開催されている。建築の写真や模型のほか、絵画、ドゥローイングなど17 5点による大規模な個展である。東京のMビルディング、韓国・済州島のポドー・ホテル(写真右)、などで知られる。 伊丹の建築には、生地・日本と自身のルーツである韓国の文化的伝統が色濃く宿っている。西洋建築を学びながら、彼が儒教や仏教、禅といった東洋哲学に傾いたのも、自己のアイデンティティーを意識してのことだったろう。
それは石組みや木組みなど、自然素材を活かす手法のみにとどまらない。 建築は自己を無へと解き放つ「無の媒体」(中原祐介氏)という考え方。 あるいは自身が「建築は常に地域と場の関係項」と定義づけているように、自然との共生・調和によって建築が場の必然的な要素となることを重視する考え方。----も、また東洋思想からくみ取られたものだ。
その伊丹建築の核心は、ヨーロッパにどう伝わったか。たとえば、8月12日付けのル・モンド紙で「きわめて東洋的な伊丹の芸術は、日本と韓国、東洋と西洋、伝統と近代性、自然と文化の間を手探りしながら、実はこれらの均衡の外を目指している」と評したエマニュエル・ド・ロウ氏は、それを正確に見抜いていたと言えるだろう。また、ギメ東洋美術館のチーフ・キュレーター、ピエール・カンボン氏も、伊丹建築が「現代性と伝統の間における対話の必要性」を喚起させると示唆している。
今日の建築は、コンピューターによってサンプリング化され、ガラスや種々の新素材を介して脱身体性を強めつつある。そのことを考えると触覚的な手の痕跡や身体性の回復という伊丹の理念は、今日の建築のあり方に警鐘を促していると言ってよい。
伊丹建築の石組みや木組みは、東洋のみならず西洋の伝統にも通底するものであり、だからこそ普遍性をもって迎えられたのである。都市自体が数百年に 及ぶ石の建造物であり続けるパリ。その歴史と対比されることによって、伊丹建築の石組みのコンセプトが東京よりもはるかに際立って見えた。「垂直軸と水平軸によって、強く支えられた伊丹建築」という人類学者ジョルジュ・コンドミナス氏の評価は、東西文化の固有性を超えた伊丹の「場の関係項」を確証する、グローバルな視点を印象づけてやまないだろう。